今回は子供の頃に夢中になったものについて書いていきます。
社会人になってから「昔は楽しかったなあ!」と懐かしむことを避けてきました。
昔のことを考えることは後ろ向きで進歩がないような気がしたのでしょうか。
なぜかずっと見ないふりをするように考えないでいたのです。
しかし、子供の頃に時間を忘れて他の人の意見も聞かずに夢中になったことからなぜ目をそらしていたのでしょう。
そんなことを考えていたある日、私は会社の後輩と話す機会がありました。その時彼らに「子供の頃に夢中になったもの」を聞いてみました。
日本大学出身の後輩は「どうしても日大に入りたくて、頑張って空手を続けた」と言っていました。
早稲田出身の後輩は「学研の付録で夢中に遊んでいました。あれホントよくできているんですよ。」と語っていました。
成長してからも大人の科学マガジンは気になって読んでいたと言っていました。
モンゴル出身の後輩は「馬が好きです。モンゴル人は馬が好きです。」と言って馬とのツーショット写真を見せてくれました。後日、馬肉をくれました。(好きなもの食べるんかいと思いました。)
目的があって夢中になったり、自分の身近にあるちゃんとしたものを好きになって夢中になったりするんだなと思いました。
この時、「ひろゆきさんの夢中になったものはなんですか?」と聞かれずにすんでホッとしました。
子供の頃に私が夢中になったもの。それは、
「牛乳瓶の紙のキャップを集めること」でした。
キャップを乾かして、裏の白い部分に自分で考えたキャラクターを書いて友達と一緒にメンコ遊びをしていたのがとても楽しかったのです。
教室の隅で大はしゃぎしている生徒たちを見て、一度先生が近づいて何をしているのか様子を見にきたことがありました。
その時の先生の顔は思い出すことができませんが、私がその立場なら引きつった顔をしていたでしょう。
先生は二度と私達の遊びの様子を見にくることはありませんでした。
私がずっと見ないふりをしていたのは
幼い頃の追憶の先に、教室の片隅でキャップで遊んでいたあの頃の私がいたからかもしれません。
「そんなことしても意味ないよ」と今の私が声をかけてしまい、悲しそうな顔をする昔の自分を見たくなかったのでしょう。
思い出に蓋をしたかったのでしょう。キャップだけに。。。。